穏当な返事がいただけたので、少しリスクが下がったと判断して、もう少し踏み込んだことを書かせていただきます。上2つの書き込みを見返すと、なるべく端的に伝えようとしたせいで結局うまくいっていないし、また昨日もう少し考えがまとまってきたので、書き込みをした背景と今までの考えを書きます。この状況なら名前を出してもよいのかもしれないなあ、とも思いましたが、自分の身の周りのことも交えて書くので、やはり匿名にさせてください。こういうことを書いたり考えたりするのはとても疲れるので、これで書くのは最後にしたいと思っています。考えを一気に書くので非常に長いですがご容赦を。

いきなり失礼ですが、以前からあなたがSNSなどに書いていることを見ていた限り、あなたはすごく極端な考えに取り憑かれて、それが正しいと信じ(思い込み)、理解できない人を見下す人だ、という風に見えていました。私は、もっと柔軟に考えればよいのに、1つに特化するにしてもそのためには他のことも理解しないと、もっとバランスよく取り組まないと結局うまくいかないのではないか、と思っていました。極端な考えというのはよく言えば先進的(かもしれない)ということで、それでうまくいくならばよいのですが、実際はどうだったでしょうか。ちょっとレベルは異なりますが、論理的に話せない人はとにかくだめで、そうでない部分は感情的として切り捨てるというのも極端な考えの1つで、実際に論理的でない人とのやりとりが繰り返されると、その信念はますます強固になっていくわけです。

現実に論理的でない人は多くいて、そういう人と接することが繰り返されると疲弊するのも事実ですが、果たして本当にあなたが論理的に話せないと判断した人は全員が論理的でなかったのでしょうか。例えばあなたが長文でやりとりをしていたミッキーさんなのですが、本当に論理的でなくて、あなたの言葉で言えば感情的なのでしょうか。私が見る限り、確かにあまりに堂々巡りなので途中で腹を立てた場面はあったように見えますが、そんなに感情に任せて書いているようには見えていないのです。

私の先日のコメントに戻りますが、話を聞かないということと、論理は前提が正しくないと意味がないという旨を書きました。これを踏まえてお二人の会話を見直すともう少し言語化が進んだのですが、ミッキーさんがずっと主張しているのはあなたの論理の部分ではなくて前提の部分についてなのです。つまり、あなたの前提条件がおかしいから、そこを調整しないといけないということをずっと言っているわけです。でも、あなたは自分の前提は正しいのだからそこを共有するつもりはなく、自分の前提から出発して論理的に話を進め、結論に至り、論理や法律で解決できない部分は裁判が必要だと主張しているように見えます。あなたは「誰も論理的に説得できない」と書かれていましたが、そりゃそうです。誰も論理的に説得しようとしているわけではなくて、前提条件を共有してほしい、と言っているのですから。背景の共有とも言いますが、そこがコミュニケーション成立のための肝なのですね。前提が違うので、当然あなたの論理とは合わず、前提が違うことが理解できないと論理的に話せない人と誤解することにもつながります。例えば私の職場の会議では、論理的に話すことは当然なのですが、前提条件が疎かになりがちなので、そこが繰り返し確認されることが多いです。

この段落だけ話が少し脱線します。他のアカウントで、自分は議論が強い、国民は科学的な思考ができない、と主張している人を見ています。でも、その人の議論をよく見ていると、自分の立てた前提がそもそも間違っていることを指摘されると、違う前提をいきなり持ち出して、最初からそんな話はしていない、何もわかっていないのはおまえだ、などと言い出すのですね。これでは議論は無敵でしょうが、前提に納得できない人はそんな勝ち方をしても認めないし、周りには難しい前提や論理はわかっていないけれど結論にだけは共感できる人が集まってきて、残念な集団が形成されるのですね。そんな議論ばかりした挙句、なんでみんな我々の主張がわからないんだ、とか言うわけですが、本当にわかってほしいならば自分達がどう見られているのかをちゃんと考えないといけないのですね。まあ、それが理解できないからこうなるんですが。

それで、なぜあなたが前提条件を共有できないかというと、自分はこれが論理的に考えた結果得た結論だから正しいという信念、悪くいうと思い込みなのですね。多くの人は自分の前提がおかしいと指摘されるとちゃんと考え直して修正したりするわけですが、あなたの場合は前提が確固たる信念だから修正しないわけです。いや、あなたが熟慮の末に信念だと自覚してやっているならば、そうですか、で話は終わりでよいのかもしれません。でも、信念とまで考えたことではなく、普段のちょっとした場面でも思い込みを前提として行動してしまっているとしたらどうでしょうか。

例えば、私は細かい部分まで追う気力がないので確認していませんが、この記事の件ではあなたが推測で書いたことが間違っているから削除してくれ、と言われているわけです。でも、あなたは自分の書いたことは事実だから応じないというわけです。向こうが間違いを指摘してくれればよいのに指摘しないのだから事実だろうと思っているのかもしれず、私は警察云々の事情は知らないのでこの点については何も言いませんが、それでももしあなたの推測が本当に思い込みによる間違いなのだとしたらどうでしょうか。

他に、これまで職場でもこういうことはありませんでしたか? 自分はこういうことが大事なのでやらないといけないと思っている。周りからはそれは瑣末なことでもっと大事なことがあるだろうと言われる。でも自分ではそういう細かいことが大事だと信じているので絶対に譲らない。

思い込みというのは怖くて、自分自身では絶対に修正することができないし、その思い込みが強ければ強いほど他人に言われてもやっぱり修正できないわけです。それが他の人から見ると「話を聞かない」となります。そして、その思い込みの内容が周りと全く相容れないことだと、疎遠にされて、排除されて、居場所がなくなるということにつながります。そうなるとお金の面で困窮していくし、精神的にも追い込まれますから、だんだん自暴自棄になって、最後には「無敵の人」が新聞に……。とはあなたにはなってほしくないのですね。

私がこのような視点を持つようになった経緯なのですが、最近私は話が本当に全く通じない人や行動が全く理解できない人に対応しなければならない場面が出てきてしまって、苦慮するようになりました。それで精神に関することを勉強する羽目になったのですが、おかげで自分自身も含む色々な人に対する見え方がこれまでと変わってしまって、ちょっと困惑していたりします。そんな頃に見かけたのが最初に引いたあなたのツイートで、記憶に残ったのもそのためです。アカウントを分けているのに個人アカウントから引いてくるのは申し訳ないとは思いましたが、とても大事な可能性があるので指摘せざるをえないと考えました。

コメントを書こうと思った直接のきっかけも、ミッキーさんの「脳に障害がある」「サイコパス」「アスペ」といった言葉なんです。これらは相手を罵倒するために、よく知りもしないのに気軽に用いられやすい言葉なのですが、ミッキーさんは「専攻:教育社会学」と書かれていて、たぶん少し知識があって本気で書いているのではないかと思います。あなたは相手が誤解して適当なことを書いていると思われたようで、大学院を出ているからとも書かれていましたが、こういったことは知的には問題がない場合も多くて、教育機関にいる間は周りの配慮があったり問題を指摘してくれたりして何も起きないが、就職した途端に周りは配慮も指摘もしてくれず、一気に人生が落ち込むというのがあるあるなようなのです。

実際のところは、私にはあなたの精神がどうこうということは、現実に接しているわけではないので何も言えません。そもそもこうした話は個人差があまりにも大きくて、結局のところはその人の性格・特性が強烈なのでは、という話に矮小化してしまうこともできます。でも、事実として「他者とのコミュニケーションで頻繁にトラブルが起こる」「ある物事に異様に強い興味やこだわりを持つ」といったことは典型的とされることです。「強い興味」はそれが天才的な能力につながることもあるのですが、もしそれがすぐに思い込むといった悪い方向に働くならばまずいです。とはいえ、思い込みの場合は自分一人ではどうにもならないので、こまめに信頼できる人に相談する、指摘されたら一旦自分の考えを客観視することを意識するといったことが必要になってくると思われます。

私の書いたことが受け入れられるかわかりませんが、少しでも聞いて今後に役立てていただければ幸いです。